命あるものは生まれた以上、やがて寿命が尽きて死を迎えます。
そして生の締めくくりとしてお葬式が営まれます。
日本では古来より精霊信仰があり、人間以外にも動物や虫、魚類、針・人形などの供養がごく自然に行われています。
高野山の奥の院にはロケットの供養塔などもあって、万物に対する畏敬の念を感じずにはいられません。
最近知ったことなのですが、なんとロボットのお葬式というものがあるそうなのです。
20年ほど前に発売されたペット型ロボットがあり、そのお葬式がユーザーの手によって営まれるのだそうです。
日本人の人間の寿命(平均余命)が80余年、犬や猫の寿命が10〜20年と考えると、死とは関係のないロボットが20年で寿命というのは、ちょっと短いような気がします。
でもやっぱり寿命があるのだそうです。
AIは機能しても、その器であるボディやパーツは時間経過とともに劣化し、壊れていきます。
そのパーツなどが人間の都合で生産終了になれば、壊れても復元されることはなくなって動かなくなります。
それがロボットの死にあたります。
パソコンだってOSが変わればソフトが使えなくなる物もありますしね。
有機物(生命体)と無機物(例えばプラスチックなど)の違いは、有機物は時間が経つと組織している細胞が壊れていくということにあります。
確かにプラスチックは150年経ってもそのままでしょう。
しかし1000年経ってもプラスチックのままででしょうか。
きっと組織が壊れて、風が吹いただけでボロボロと崩れていく状態になっているでしょう。
ならば、生物と非生物に違いはないのではないか、という考えも成り立ちます。
↓ この写真は地下鉄のホームにあった広告です。
AIを活用して社会に役立てて行きましょう、的なメッセージが込められています。
巷ではAIが人間の仕事を奪う、由々しき問題だ、という論調もあります。
でもAIだろうが、ロボットだろうが、やっぱり寿命ってあるんですよ。
人型ロボットはつい擬人化して見てしまいますが、同時にこの世に存在する仲間意識も感じさせます。
この写真、ジェノスに見えるのは私だけ?